記者会見「4学会共同の救急・集中治療の終末期ガイドライン改訂 『人生最終段階ではない者の生存維持治療の中止』懸念」で発言(2026年3月6日)

2026年3月6日、厚生労働省内で、記者会見記者会見「4学会共同の救急・集中治療の終末期ガイドライン改訂 『人生最終段階ではない者の生存維持治療の中止』懸念」がありました。天畠も発言しました。

天畠大輔です。生きる方向へと舵を切るべきです。

わたしは現在参議院議員ですが、今日は脳死判定経験者・長期遷延性意識障害経験者として発言させていただきます。

私は14歳のときの医療ミスで四肢麻痺、発話障がい、視覚障がい、嚥下障がいを負いました。長い時間をかけて介助体制を整え、重度訪問介護を使いながら、介助者とともに地域で暮らしています。2022年7月に国会へと送り出していただき、現在、参議院厚生労働委員会に所属しています。

1996年、若年性急性糖尿病の症状で緊急搬送された私は、病院が適切な措置を怠ったため、入院3時間後に心肺停止になりました。ICU(集中治療室)に入った翌日の4月30日、私の両親に対して医師は「脳死です」「脳波がフラットです」と告げたそうです。母は私の姿を見て「もうこの身体(からだ)に大輔はいない」と思ったそうです。

幸いにして私の血圧、脈拍、体温はその後少しずつ改善し、二度目の脳死判定を受けることなく私の容体は回復しました。

しかし、「もしもあの時、私の脳死を両親が受け入れていたら」と考えるたびに、私は言葉に言い表せない恐怖に襲われます。私は今44歳ですが、私の人生は14年で閉じられ、今日(こんにち)までの30年間はありませんでした。もちろん、今日(きょう)ここで皆さんの前に立つこともなかったわけです。

今回の改訂ガイドラインの説明文は、「真摯に患者と向き合っている医療者が患者中心の医療を提供するための一助となると考えています」と締めくくられています。

しかし、このガイドラインは医療職や臨床倫理の方々など、専門職が寄り集まって、基本的には生命維持治療を止めるプロセスを定めたものです。

救急医療と集中治療によって命を救われ、生きたいと願い、在宅療養・リハビリ・コミュニケーション支援・重度訪問介護などの社会資源を駆使して、家族や支援者とともに病院外で生きている当事者たちは、いまわの際にいる患者さんたちに自分の経験を共有することも、そのプロセスを定める主体として想定もされていません。これでは、真摯に患者と向き合っていると言えません。患者、当事者抜きの乱暴な議論を、受け入れるわけにはいきません。

さて、厚労省の研究班は「脳卒中や不慮の事故などが招く脳死の可能性がある患者が、2023年の1年間に国内で少なくとも約1万人にのぼった」とする初の推計結果をまとめました。

一方で、この研究班は「脳死判定されたのは132人にとどまっている」「医師らが家族に臓器提供の選択肢を示すことが増えれば、提供者を相当数増やせる可能性がある」と、臓器移植の進展と拡大に期待をにじませています。

そして、今回の改訂ガイドラインでは、「その他検討すべき事項」として、臓器提供に触れています。これは、臓器摘出を目的とした生存維持治療の中止につながりうる、大きな問題です。

臓器移植の実務的な方針は、臓器移植法に基づき、厚労省が設置する委員会で話し合ったうえで作られています。この方針に現在、生命維持医療の中止と臓器提供の説明を紐づける規定はありません。

しかし、今回の改訂ガイドラインの9ページを見てください。書きぶりが非常に曖昧で、まるで空気を読んで、生命維持治療の意思決定をするときには、臓器提供のことも加味せよと言わんばかりです。脳死判定から蘇生した当事者として、恐怖を感じます。

私もまた、かつては「死にたい」という言葉を「あかさたな話法」を通じて幾度か発したことがあります。 障がいや疾病に限らず、人は誰しも困難な状況を前にした場合、時にこの言葉を口に出します。そしてそれは多くの場合「生きたい」という願いが閉ざされそうな時の命の叫びなのではないでしょうか。叫びの大きさ、長さ、音色は目まぐるしく変わります。人間の心の営みなのですから当然です。ある瞬間の、あるいはある時期の言葉の内容を切り取って「本人の意思だ」「死にたいと言っている」「尊重すべきだ」というのはあまりに乱暴すぎます。

今の社会では、困難な状況に直面した当事者や支援者の目の前に示されるのは、「この命は、長らえるべき命か、そうでないか」という残酷な二者択一です。そしてその時いつも現れてくるのが、「役に立つか否か」で人間の価値を測る物差しです。でも、この世の中に、生きるに値しない人間などひとりもいません。生きる方向を指し示さず、生命維持治療を止める環境だけを整えることは、弱い者を排除する差別です。以上です。