【国立ハンセン病療養所視察報告②-3】大島青松園(2024年11月21日)

2024年春、天畠は「ハンセン病問題の最終解決を求める国会議員懇談会」に加盟し、さらに同懇談会とハンセン病対策議員懇談会のプロジェクトチーム(以下、議懇PT)の一員となりました。天畠自身が介助が欠かせない障がい当事者であり、障がい者施設での生活経験もあることから、特に療養所での人員確保について議懇PTや国会質疑
で取り上げてきました。
昨年9月からは、ハンセン病問題についてより理解を深めるべく、全国にある国立ハンセン病療養所の視察を続けています。今回は大島青松園の視察を報告します。
瀬戸内国際芸術祭で、島外とつながり

最後に、大島青松園(香川県高松市)を訪れました。大島は本州とも四国とも橋でつながっていないため、高松港からフェリーで向かいます。
大島青松園で現在生活しているハンセン病回復者(入所者)は29人。自治会は「会長と副会長の二人だけで運営している感じで、自治会を維持するのが精一杯」だが、「自分たちがいろいろ考えて要請できる間に、永続化についてやらなければ」と森会長は強調します。
「2009年、瀬戸内国際芸術祭の会場を大島にしないかという話が出て、第1回の2010年から、入所者が使っていた寮などを解体せずに、作品展示場所として使ってもらっている。
最初は現代アートの祭典と、療養所の永続化がどうつながるのか、自分もよくわからなかった。この隔絶された島では、近隣地域の人たちすら療養所のことをよくわかっていないので、できるだけ多くの人に来てもらう機会になれば良いと今では思っている。
瀬戸内国際芸術祭は3年おきの開催。事務局とも月に1回は定期的な話し合いをしている。芸術祭の期間外にも人に来てもらうように準備している。訪れる人も増えたので、宿泊施設も整備中」

んまい」(意味は「よってみて」)の看板は、アーティストの田島征三氏がワークショッ
プで大島の浜辺で集めた素材を使って子どもたちと手作りしたものだそう。
島全体を残したい

長島愛生園と同じように、過去に患者作業で自分たちの暮らしを作ってきた歴史があります。入所者自治会の野村副会長は、大島青松園での生活を詳しく語ってくださいました。
「私は昭和27年にここに来た。療養所と言っても名ばかりで収容所みたいなもの。24畳の部屋に12人が共同生活させられて、雑魚寝の雑居生活。隙間だらけで風がビュービュー入る。入所者が700人いても、職員はたったの53人。看護婦さんは18人しかいない。
亡くなった人を火葬するための薪も常に5、6人分用意しておかなければならなかったが、それも全て患者作業だった。いつ死んでもいいように、お棺も20から30は作っていた。
作業所で大工の見習いを入所者がやっていたり、入所者の義足を入所者が作ったりしていた。バケツでもやかんでも必要なら何でも作っていた。今で言えば「匠」みたいな、そんな人がいた。自分たちも、板を削ったりした」

森会長は「何とか島全体を残していけるように頑張りたい」と力を込めます。大島は離島で山が小さく、海底送水管がなければ夏の降雨量が少ない場合に十分な飲み水が確保できないなど、他の国立ハンセン病療養所にはない様々な困難があります。これらの基礎インフラの確保とともに、今後より高齢化する医療や介護の体制も整えていかねばなりません。
「国会議員の方々の尽力でハンセン病問題基本法ができたが、療養所の永続化を確実に行うための措置を、さらに書き込んでもらわなければならない。どこの市町村も予算を負担するとなれば大変。国が責任を持たなければ、療養所を永続化させ残すことは難しい。そこが一番のポイントだと思っている」
今回の視察では、療養所ごとに歴史、立地条件が大きく異なるため、全体を見通した法改正の視点が必要であることを皆さんに教えていただきました。さらに全国の視察を続けていきます。(文責:秘書 篠田恵)

