「障害のある人と警察のあり方を考える~警察官は私たちをどれくらい理解してくれているのでしょうか~」に参加しました(4月17日)

安永健太さん死亡事件をご存知でしょうか。2007年9月25日、安永健太さん(当時25歳)が自転車で障がい者作業所から帰宅中、不審者と間違われ、警察官から後ろ両手錠をかけられ、5人もの警察官に取り押さえられて亡くなった事件です。健太さんには中等度の知的障がいを伴う自閉症スペクトラムがあり、コミュニケーションが難しいという特性がありました。しかし、警察官は誰一人として健太さんに障がいがあることに気づきませんでした。

健太さんを取り押さえた警察官は一旦不起訴処分となりましたが、ご家族は健太さんの亡くなった原因を探るべく警察官に対し刑事裁判を要求(付審判請求)し、刑事裁判が開始。しかし警察官は無罪という結果となりました(2012年9月18日最高裁決定)。また家族は、同じく真相究明のため佐賀県警に対して民事裁判も起こしましたが、佐賀県の責任は認められないまま、裁判は終わりました。

事件を風化させず、障がいへの理解を広げるために関係者は2017年、「安永健太さん事件に学び 共生社会を実現する会(略称:健太さんの会)」を設立。この事件を紹介する映画「いつもの帰り道で―安永健太さんの死が問いかけるもの」(今井友樹監督)を制作・公開し、3万回以上視聴、各地で上映会が開催され、多くのメディアで紹介、2つの映像関係賞を受賞しています。4月17日、この会が主催する「障害のある人と警察のあり方を考える~警察官は私たちをどれくらい理解してくれているのでしょうか~」に参加しました。

警察官職務執行法における「精神錯乱」の問題点

裁判において警察は、健太さんは「精神錯乱」状態だったので保護したと主張し、判決で警察の行為は正当とされました。健太さんの会では、そもそもこの「精神錯乱」者を「保護」するという法律の建付けが問題だと指摘しています。以下、会のホームページから問題点を引用します。

1948年7月5日に成立した警察官等職務執行法案では、保護の対象として、「精神錯乱」と「泥酔」を規定しています(法3条1項)。

保護の対象の「泥酔」については、従来の行政執行法の文言をそのまま引き継ぐこととなりましたが、「精神錯乱」については、行政執行法及び行政警察規則にも規定されていませんでした(行政執行法及び行政警察規則では「瘋癲」という文言が用いられていました)。

このように「精神錯乱」という文言は、警察官等職務執行法で新たに加えられた文言ですが、その具体的な内容については、法律制定過程における国会審議においての議論はなく、警察官職務執行法へ改正された後も、国会内において、「精神錯乱」の内容については十分な議論がなされていません。

1970年5月16日の衆議院地方行政委員会において、警察官職務執行法3条における「精神錯乱」というのはどういう状態をいうかという質問がありました。

この点について、警察庁長官官房長である富田朝彦説明員が、「第3条にいいます『精神錯乱』は、いわゆる気違いと、こういうふうに解釈をいたしております」、「精神錯乱ということばを厳密に解釈いたしますと、精神に異常を持っておる、その意味におきましていわゆる医学上の精神病者あるいは強度のヒステリー患者、その他社会通念上精神が正常でない、こういう者を含むと解釈をいたします。」と政府見解を回答しています。

この回答からも明らかなように、「精神錯乱」は、明確な定義づけがなされず、国会内においても十分な議論がないままに設けられたものであり、その解釈についても検討がなされないまま今日に至っているのです。

警職法改正意見書

17日の集会ではこの法律上の問題を踏まえ、挨拶しました。

れいわ新選組の天畠大輔です。ご家族の言葉にとても胸が痛みます。

本日はお招きいただき、ありがとうございます。皆さまの長年にわたる活動に、敬意を表します。

映画の中で、健太さんのお父様が「判決は、外に出したお前が悪いと言っていると受け止めた」、弟さんが「似た事件が起こるたびに兄ちゃんは犬死にだったのかなと思う」と話されていました。胸をえぐられる思いです。

警察官職務執行法に、あいまいなまま残っている「精神錯乱」という用語は、当事者を侮蔑するだけでなく、命そのものまで奪ってしまった。裁判では、そのことの正当化に寄与してしまった。そして健太さんがお亡くなりになった後も、岡崎署、浪速署、金沢市での事件が続いている。立法府の責任の重さを痛感しています。

皆さまとともに頑張っていきます。ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。