【国立ハンセン病療養所視察報告②-2】長島愛生園(2024年11月20日)

2024年春、天畠は「ハンセン病問題の最終解決を求める国会議員懇談会」に加盟し、さらに同懇談会とハンセン病対策議員懇談会のプロジェクトチーム(以下、議懇PT)の一員となりました。天畠自身が介助が欠かせない障がい当事者であり、障がい者施設での生活経験もあることから、特に療養所での人員確保について議懇PTや国会質疑
で取り上げてきました。

昨年9月からは、ハンセン病問題についてより理解を深めるべく、全国にある国立ハンセン病療養所の視察を続けています。今回は長島愛生園の視察を報告します。

世界遺産登録は「生きた証」残す手段

長島愛生園入所者自治会の中尾伸治会長

次に訪れたのは、長島愛生園(岡山県瀬戸内市)です。療養所の世界遺産登録を目指す活動をしています。長島愛生園入所者自治会の中尾伸治会長は、世界遺産登録の目的を、入所者の生きた証を残す手段と捉えています。

「愛生園の建物は開園当時、全てを国が建てたのではない。特に入所者が入る部屋は400人分しかなかった。あとはすべて寄付で造られた。寄付寮を建てるにしても、道路をつくるにしても、みんな入所者がやっていた。自分たちで集落をつくってきた歴史がある。食糧難のころは、山を開墾し、畑を耕して生活していた。そのようなところもすべて残していきたい」

長島愛生園歴史館の田村朋久学芸員は、国立ハンセン病療養所の二面性を指摘していました。

「国立ハンセン病療養所は人権侵害、差別の現場なので、とてもネガティブにとらえられている。一方で、差別と闘ってきた人たちの歴史があり、文化活動の足跡がある。マイナスをプラスに転換してきた場所でもある。願わくば50年、100年後の人たちが、人権を考えるうえで、ここがとても大切な場所なんだと認識してもらいたい。そうすれば、納骨堂で眠っている方々の名誉回復になると思う」

今も続くハンセン病、感染症差別

左から田村学芸員、中尾会長、山本園長

ハンセン病回復者(入所者)の生きた証を残さなければならない、という関係者の思いの背景には、今も続くハンセン病、感染症差別があります。中尾会長は、ご自身のつらい体験を共有してくださいました。

「自分の兄が結婚して子どもが生まれたとき、帰ってくるなと言われた。自分の母親が94歳で亡くなったときも、最期にお見舞いに行くと言ったら断られた。なぜかと聞いたら、息子がハンセン病であったことが、周りにわかったらいけないから、と。結局行かなかった。

60年以上、帰っていない。もし(家族と)つながったとしても、よその家に入り込んだ、という感じになるのではと思う。時間は巻き戻せない。入所者たちは(現在も)、骨になってもどこにも帰れない」


医師の山本典良園長は、コロナ禍での人々の意識から見ても、国立ハンセン病療養所を永続化させる意義があると言います。

「中尾さんはよく「コロナ禍でハンセン病の歴史は繰り返された」とおっしゃっている。同じような状況を繰り返してほしくない、自分たちと同じような思いをする人が出てこないよう、語り継いでいきたい、残していきたい、と。

コロナ禍で、コロナに罹患したら誰が悪いかという質問に対し、自分が悪いと答えるパーセンテージが日本は諸外国より高かった。病気になったり障がいをもつと自分を責めるし、病気のある人、障がいのある人自身に責任があると考える。

だから、ハンセン病に限らず、偏見・差別なく暮らしやすい社会をつくるため、ここを残したい。国がやったことだと責任を押し付けるのではなく、国民ひとりひとりの意識を変えていく必要があるのだと伝えていきたい。まずはたくさんの人、特に若い人たちに来てもらう必要がある。世界遺産登録は、その手段」

点でなく、面で残すために

中尾会長(左と)

世界遺産登録は簡単ではありません。世界遺産の申請には、その文化資産が文化財保護法で保護されているという実績が必要です(※1)。中尾会長は「(療養所で亡くなった方のお骨を納めた)納骨堂だけ残して、ここに愛生園がありましたといった看板だけ残すのは良くない」と強調し、建物ごとの「点」ではなく療養所全体として「面」で残す方法を模索しています。


田村学芸員は、療養所全体を残していくにあたり、国立ハンセン病療養所を管轄する厚労省や、医療関係者以外との関わりの重要性を指摘します。

「文化財保護については、療養所職員も厚労省もノウハウがない。専門家に教えてもらいながら、方向性を考えていかなければならない」

(※1)世界遺産暫定一覧表追加記載のための手続き及び審査基準

【国立ハンセン病療養所視察報告②-3】大島青松園に続く