深く理解してこそ「人権は空気」―――上村英明衆議院議員(れいわ新選組)×天畠大輔対談 「上村英明さんと人権を語り合う」シリーズ第2弾
天畠大輔と上村衆議院議員との連続動画シリーズ「上村英明さんと人権を語り合う」第2回をお届けいたします。
「人権は他の権利と何が違うの?」
上村さんはプロ野球のフリーエージェント制に例えてとても分かりやすく説明してくれました。与野党茶番の八百長国会に乗り込むホームランバッターに乞うご期待です!
「違い」認めて乗り越えて協働を
天畠)天畠大輔です。上村さんとの動画シリーズ第2弾です。
天畠)今までの研究を通して「こんな社会になって欲しい」などイメージはありますか?
上村)ありがとうございます。天畠さんと共通の部分があると思いますが「人権が空気のように身近になる社会」です。「空気のように」というのはどういうことか。「目に見えないけども当たり前にある」という、そういう社会を作っていきたいと思っています。
ただ残念ながら、今進んでいる人権への理解というのは「言葉を知っている」こと、よく皆さんおっしゃるのは「差別はいけないよ」ということ。これらに関しては一定の拡がりがあると思うんですけど、もうひとつ「人権」は深い意味を理解していないと「空気のように」という意味が、そう簡単ではないということも事実だと思います。
例えば「みんな違ってみんないい」とかが標語になったり、あるいは差別をせずに平等にやっていこう、みたいなことが言われているが、私にはちょっと違和感があります。違和感はなんなのか。当事者の人たちというのは背景あるいは置かれている状況が本当は少しずつ違うんですよね。その違いをお互いに認め合いながら一緒にやっていこうよ、という、多数派の人たちとも一緒にやっていこうよ、ということなので。その違いを含めてどれだけ理解できるか、個人の権利としての平等の問題と、集団の権利としての平等の問題、それから歴史がどう関わってくるかというのも、さまざまな当事者の間で違ってくる部分があると思います
天畠)マイノリティ当事者の政治参加についてどう考えますか?
上村)マイノリティの政治参加は不可欠だと思います。これは障害者運動もそうだと思うんですけども、我々抜きに決めるなということは、ほとんどすべてのマイノリティあるいは先住民族にも共通します。
前提抜きに保障されるのが「人権」
天畠)人権は、普通の権利とどう違いますか?上村さんはいつも「権利には義務が伴うが、人権は前提抜きに保障されるべきだ」とおっしゃっています。詳しく教えてください。
上村)例えばプロ野球で、フリーエージェントという制度があるんですけども、これはある球団の中でピッチャーだったらなんイニング投げました。バッターだったらどれだけバッターボックスに立ちました、という義務を果たした人に、自由に自分の行き先を決める権利があるというような考え方です。
ですが、じゃあ人権という考え方には義務があるか。例えば、どんなに反社会的な人であっても拷問を受けません。これは今、例えば捜査の可視化や、取調室での人権の問題が言われていますけども「この人は悪い人だから、拷問してもいいじゃん」みたいな話は絶対に成り立たない。拷問は人権侵害なのでこれはやってはいけないです。
それから、例えば税金を払っていない人がいます。じゃあその人たちがホームレスになってお腹が痛くなった、公園で苦しんでいるときに「あなたたちは税金払っていないからそこで苦しんでください」とみんなが言うか。そんなことはないです。どんな状況のどんな人であっても人間として尊重されるべき権利が人権なのです。ですからそこには義務というのはないということを私たちは知っておかなくちゃいけないと思いますし、それには数も関係ありません。一人でも人権侵害を受ければ、そこは人権侵害を回復しなくちゃいけない、ということがあります。
被差別当事者を貧困がおそう
天畠)れいわ新選組は消費税廃止や季節ごとの現金給付など、人々の生活を支える積極的財政政策を大きな柱に据えていますが、もうひとつの大きなテーマである、人権尊重、差別の無い社会づくり、マイノリティに焦点を当てた政策実現などについて、どうお考えですか?
上村)経済が基本であるということは、れいわ新選組に入る前からよくわかっていたことですし、消費税の廃止とか社会保険料の減額とか、とても大事なことだというふうに思います。私がやっているような分野でも、実はマイノリティの人たちとか、差別された当事者の人たちって貧困なんです。その意味ではやっぱり貧困への対策をしなくてはいけないというのは、本当に大事だと思います。
認めるな、NOと言え
天畠)差別を受けたおじいさん・おばあさんはどのように対応してきたのでしょうか。
上村)祖父の場合、男性は鈍いんでしょうね。だからうちの祖父は戦争終わったあとに軍事郵便をやってたので、兵隊さんに届ける仕事をしていたので、中国の南部で拘留されます。彼は帰ってきてからも、あまり自分の置かれた状況というのをしゃべらなかった。祖母は女性だったのでいろいろな思いがあったと思うんですよ。
今みたいに、差別はいけないという話の時代ではないので、結構強かった。つまり「諦めんな」みたいな感じの、「納得行かないときにはノーと言えよ」みたいな感じの強さはあったと思います。自分たちの生き方を諦めなかった人なんだろうなと思います。
決してリベラルでもなかったし、保守的なところもあり、いろいろな面がありましたけどそこのいい部分を私は学ばせてもらったということがあります。学校以外にも家庭の中で私は学ぶ機会がたくさんあって。そういうことが私の性格を作ってきたなと思います。
天畠)今日はありがとうございました。
上村)ありがとうございました。