祖母から学ぶ「多様な人々との祝祭」―――上村英明衆議院議員(れいわ新選組)×天畠大輔対談 「上村英明さんと人権を語り合う」シリーズ第1弾
上村英明さんはアイヌ民族や琉球民族など先住民の人権問題を専門とする研究者です。1986年、中曽根康弘首相(当時)の「単一民族国家発言」を機に立ち上がったNGO「市民外交センター」(SGC)代表として、国連のNGO制度の改革などに取り組んできました。
2024年10月の第50回衆議院議員総選挙の比例東海ブロックにおいてれいわ新選組公認で初当選し、力強い仲間として新加入。「人権尊重」「差別反対」をキーワードに意気投合した天畠議員とともに、動画シリーズ「上村英明さんと人権を語り合う」をこのたびスタートします。国際的かつ普遍的な視点から、れいわ新選組にフレッシュな息吹を注ぎ込んでいただきます。
自己責任論が民主主義を解体
天畠)皆さん、こんにちは。天畠大輔です。上村英明さんと、人権に関する動画シリーズを始めます。
昨年10月の衆院選で当選を果たされ、新たに仲間になった上村さんと人権や差別の問題について話し合う中で、是非このテーマについて動画をシリーズ化し、れいわ新選組の中で理解を深めるとともに、市民の皆さんとも共有していきたいということになりました。
ところで、れいわ新選組から立候補した理由や背景を教えていただけますか?
上村)今回こういう場を準備していただいて、本当にありがとうございます。人権に関する理解を深めていきたいという同じ思いで、こういう場を設定していただいたことは本当にうれしく思います。
もともと日本社会はたくさん問題や課題が多く、やることがいっぱいあると思っていました。特に2000年代に入り、いわゆるグローバル化とか、それに基づいた競争社会・非正規雇用・自己責任…さまざまな考え方が人権・福祉・環境など、さらにその土台となる民主主義の問題を解体していくことに危機を感じました。
その意味では政治に対して意見をするだけではなく、自分自身も政治の中に入って変える力をもち、責任を負わなくてはならないと考えたときに、れいわ新選組の考え方に共鳴するところがあった、ということです。
寄る辺なき難民が自分の出発点
天畠)上村さんの「出発点」にとても関心があります。聞かせていただけますか?
上村)私は、台湾からの「引揚者(ひきあげしゃ)」と呼ばれる家庭に生まれました。九州の熊本県にあります。国際的な基準でいくと「難民」です。厳密な意味での「難民」の規定に関してはちょっとずれるところもありますが、国際的な難民の保護というのは、第一次大戦の後に始まります。
国が崩壊して国の保護を受けられない。その中で移住を強制された人たちが国境を超えて新しい場所に移っていくときに、財産もない。それから身分証明書もない、という中で保護が始まったのが難民の問題。
第二次大戦後、大日本帝国は崩壊しました。我々を守ってくれる国はなくなった。台湾にいたものですから。早速中華民国の政府がそこに統治を始める中で「あなたたちは日本に帰りなさい」という力がおよび、収容所に集められ、アメリカが用意してくれた輸送船を使って和歌山に帰ってきました。祖父の家が熊本だったので、親戚を頼って熊本に移り住むようになったという経歴があります。
天畠)その中で印象に残っている差別のお話を聞かせていただけますか?
上村)「入植者であった」というのはすごくマイナスなことなので、なかなか難しいです。私の祖母は台湾で生まれました。その中で出てくるのが、沖縄出身の先生たちとの交流の話や、町に行くと中国人・台湾人、現地でいう「原住民族」、たくさんの民族の人たちがいるという話です。祖母はよく「いろいろな人たちがいると、いろいろなお祭りがあって楽しかった」と言っていました。
祖母は入植者だったけれども、そういう環境をすごい大切にしてきたんだなと、話を聞いた私は思っていました。その意味で、多文化社会や多民族社会の価値を小さい頃から話してもらった気がします。
ちょうど1986年に、日本の中曽根康弘(なかそね・やすひろ)という総理大臣が「日本は単一民族なので、こんな素晴らしい国家はない」といった事件がありましたが、祖母が「この人は何を言ってるんだか」「信じられないな、こいつ」というコメントをしたのをいまだにはっきり覚えています。そういう感覚を学べたのは家族のいろいろな歴史を身近で聞いていたおかげだと思っています。
先住民から見える「矛盾」に向き合う
天畠)先住民のまなざしから日本をながめると、どんな国にうつりますか?
上村)明治の始めに、「蝦夷地」と呼ばれた地域を「北海道」として命名する。そして統治機構を置く。それから「琉球王国」がありましたが、そこに「沖縄県」を設置する。その時にどんな過程を経て、それが行われたのか。その時に、もともと住んでいた人たちはどんな処遇を受けたのか、ということに私たちがなかなか気づきません。
その結果、アイヌの人たちにも、琉球の人たちにもかぶってきているさまざまな矛盾や問題を解かなくてはならない。この国はどうやってできたの?というところの問題に向き合うことが、ある意味はじめの問題であり、一番大事な問題であります。
天畠)今日はありがとうございました。