「障がい」は社会的障壁が作る。それに気づける共生の地域へ――高橋のぶたか市議(群馬県伊勢崎市)×天畠大輔対談

内閣府の障害者白書(2023年版)によると、国民の約9.2%に何らかの障がいがあります。しかし、障がいを持つ当事者議員の数は、国会と地方議会を合わせて約50人(国会が5人)と、わずか0.1%程度にすぎません。選挙制度そのもの、介助や情報保障の不足など、障がい者が議員となるバリアは高いのが現実です。

 一方で、数はまだまだ少ないですが、各地でパワフルな当事者議員が活躍しており、中には5期、6期と期数を重ねてベテランとなる人も出てきています。障がい者自身が政治に参入して、地域を、国を変えていくには?――当事者自治体議員と天畠が語る対談シリーズを始めます。初回にお迎えしたのは、群馬県伊勢崎市議会議員の高橋のぶたかさん。議会質問だけでなく、障害平等研修(DET研修)や障がい者等用駐車場の「共感看板プロジェクト」など、健常者の住民に直接はたらきかけ、障がい者の存在や困りごとに「はっ」と気づける活動に力を入れています。

「どこまでが仕事かわかりにくい」ナンバーワンは政治家?障害福祉サービスは十分使えるの?

発話障がい、嚥下障がい、視覚障がい、四肢麻痺のある天畠が一人暮らしするために不可欠な障がい福祉サービスの一つが、重度訪問介護(※1)です。高橋さんも利用可能な制度ですが、「通勤、 営業活動等の経済活動に係る外出、通年かつ長期にわたる外出及び社会通念上適当でない外出」には使えないと定めた国の規定(障害者総合支援法に基づく厚生労働省告示第523号)により、議員活動をする上では使いにくいとのこと。

さらに、重度訪問介護は国がサービス提供事業者に支払う報酬額の基本単価が他の障がい福祉サービスに比べて低く、加算制度も複雑で、地方部ではそもそも提供している事業所が少ないと指摘され続けてきました。群馬県でも、それは同じだと言います。

(※1)重度の肢体不自由または重度の知的・精神障がいがあり常に介護を必要とする方に対して、ホームヘルパーが自宅を訪問し、入浴、排せつ、食事などの介護、調理、家事など、生活全般にわたる援助や外出時における移動中の介護を総合的に行い、地域生活を支援するもの。項目ごとの短時間支援ではなく、比較的長時間、見守りも含めてヘルパーが滞在できるのが特徴。

「ここから下の感覚がない」と話す高橋市議

高橋:天畠さん、今日はよろしくお願いします。1974年に群馬県伊勢崎市で生まれた、高橋のぶたかと申します。現在49歳です。

自営業で建設会社の社長をやっていた35歳のときに、落下事故で頚椎の6番を強打して、中枢神経を完全にぶったぎってしまったが故に、人間の機能の約80%の機能を失いました。鎖骨のあたりから下の感覚が一切ありません。鎖骨のあたりが足の裏っていう感覚なんです。あとは、手の指が動かない、痛いとか痒いとかの感覚がありません。

伊勢崎市議としては現在2期目です。伊勢崎市議会議員30名のうち、有志会という少数会派で活動しています。 

天畠:重度訪問介護制度の利用は、高橋さんはありますか? 

高橋:自分の障害者手帳は身体障害の一級ですけれども 重度訪問介護は現在使っていません。使っているのは居宅介護(※2)の短時間の身体介護です。起きるとき、寝るとき、あと入浴の介助だけです。

(※2)障がい者の居宅で、入浴、排せつ及び食事等の介護、調理、洗濯及び掃除等の家事並びに生活等に関する相談及び助言その他の生活全般にわたる援助を行う。

なぜ重度訪問介護を使ってないかというと、やはり障がい福祉サービスを受けている時間帯は仕事をしてはいけない決まりが理由です。政治家っていちばん、どこまでが仕事かわからない職業です。だから、毎度あいまいさに悩むより、一切きっぱり使わない方がいいのかなと思っています。

たとえば移動支援という制度も使わせてもらっているけれど、議員として地元の小学校の運動会の来賓出席を頼まれたときでも使わないようにしています。仕事に利用していると(支給決定をする市役所に)思われてしまうとだめだから。そうすると結局、電動車椅子で30分かけて自走したり、バスで行ったり、家族に送ってもらったりとか。いっときは、友達に時給を払って、送ってもらったりもしていました。障がい福祉サービスを使いながら議員活動を続けるのは、非常に大変ですね。

就学や就労に障害福祉サービスがそもそも使えないことが、われわれのいちばんの障壁になっていると思います。同じ群馬で、重度訪問介護を使っている脳性麻痺の仲間は、仕事をやりたいけどできないジレンマがあると言っていました。重度訪問介護を使っている時間は仕事ができないから。2020年には就労支援特別事業(※3)ができて、一部の自治体では就労・就学でも使えるようになりました。そういうのも広めていきたいです。

(※3)週10時間以上働く(在宅含む)重度訪問介護等の利用者を雇用する企業等、もしくは自営業の重度障がい者が対象。通勤・勤務中の介助費の大半を国と自治体が負担する制度。ただ、自治体がこの事業を導入すると決めなければ使えない。開始から2年たった2022年10月時点で、制度利用は全国1741市区町あるうち26市区町村の92人と、当初想定された人数の約1割程度にとどまっている。

天畠:もし就労中の介助が使えたら、高橋さんはどの部分に使いたいですか?

高橋:ほぼすべてに使いたいっていうのが、正直なところです。移動の介助ももちろんですが、仕事中には、障がいがあるけどいろいろ頑張って、結局自分でやらなきゃいけないことが多いんですよ。書き物(筆記)とかは、なんとか自分でできるんですが、ちょっと高いところにあるものを取るとかも、今は議会事務局員にわざわざお願いしに行かないといけません。重度訪問介護の介助者がいれば3秒で終わるところを、結局人にお願いして、それからいろいろ了承をもらって、などとやっていると、5分も6分かかってしまう。議員も一般の市民も、重度訪問介護を使いたい人が使えればいいなと思います。

ただ、そもそも群馬県伊勢崎市は人口が21万人もいるのに、最近やっと重度訪問介護を受ける事業所が数ヶ所出てきたんです。群馬県全域でもまだ5ヶ所ぐらいかな。数年前までは、21万人都市ですけど、4,5人ぐらいしか重度訪問介護を使っていなかったので、そもそも重度訪問介護の存在さえみんな知らないのが現状でした。本当に都会の東京と群馬の差は激しいと思います。

天畠:この重度訪問介護制度が就労中でも使えるように、われわれが運動していきましょう!

高橋:ぜひやりましょう!あと、岸田首相が「異次元の少子化対策」と言うのであれば、障がいのあるお子さんも重度訪問介護を使えるようにすべきです。やはり重度訪問介護が障がい児に適用されないのは、障がい児は家族でみるのが当たり前という、昔の日本の風習および障がいの「医学モデル」(※4)が残っていると思います。ハードルは高いと思うんですが、重度訪問介護を障がい児も使えるようにしたいですね。

(※4)障がいは個人の心身機能の障がいによるものであるという考え

保守的な地域で障がい者施策を通すには…

伊勢崎市は人口21万人のうち1万5000人、つまり約7%が外国籍住民です。平成初期から群馬県内では、工業地域で働く外国籍住民らが増加。その後も工業地域で働く人々だけでなく、技能実習生や留学生など様々な外国籍住民が増え、伊勢崎市には60か国以上の住民が暮らしています。「群馬は保守的な地域」と高橋さんも日々感じていますが、問題の所在を知ってもらいきちんと話し合えば、外国籍住民との共生の経験からも、障がい者施策も進めやすい面があると言います。

「あ、か、さ、た、な話法」で話す天畠

 天畠:伊勢崎市の障がい者福祉のいちばんの課題は何ですか?

 高橋:伊勢崎市だけでなく群馬県全体が、ひと昔前の従来型の感覚、障がいで言えば「医学モデル」的な見方を良しとしている風潮が強くて。そういう感覚がまだ強く残っているところが、いちばんの課題なのかなと、特に議員になってから感じますね。

伊勢崎は人口の7%が外国籍ですが、多い小学校だとクラスの30%ぐらいが外国にルーツを持つ子どもさんです。子どもたちを見ると、もう本当に心の中がまったく分け隔てなくて、外国籍だからとかっていうのがない。あのまま成長してもらいたいし、学校の先生も、日本人と外国にルーツのある子が一緒に学ぶにはどうしたらいいかと、全校が考えてくれてるんですよね。 

素晴らしいなと思うんですけど、それでも障がい者は分けて当たり前という感覚です。そこはまだ課題かなと思いますね。伊勢崎は20万人規模の、大きくも小さくもない標準的な自治体です。ここで障がいのある子も一緒に学ぶインクルーシブ教育のモデルが作れれば、日本全体に波及もしやすいのかなと思います。力を入れたいですね。 

天畠:高橋さんは少数会派ですが、どのように意見を通しているのですか?

高橋:まだ2期目で、たくさんのことを実現できたわけではありません。ただ、少数会派だから発言機会もたくさんあるので、積極的に発言することによって、政策を反映してもらっているところもあります。

先ほど従来型の発想が強いとは言いましたが、伊勢崎市には良いところもあります。40年近く、もちろんいろいろな課題はありますが、外国籍の人たちと一緒に住んできた歴史があるので、きちんと話し合えば、障がい者施策が通りやすい部分もあるんです。「いろいろ大変なんだよ~、そんな大変だったらこうすんべんか~」みたいな感じで(笑)

たとえば5、6年前、自分が議員になる1年前の話なのですが…伊勢崎市内の小中学校では従来、障がいがある子はエレベーターが設置してある「拠点校」に行くのが当たり前だったんです。ある障がいのある女の子が、小学校4年生ころまで頑張って地元の学校に通ったんだけど、身体の状況が変わって転校する流れになった。地元の中学校は市の拠点校だから、中学になるとまた地元に戻ってこられる、なんて学校は説得していたけど、その子は「たった1年か2年でも地元に通いたい」と。そうしたら学校側は、上層階まで上がるときは、教員は万が一落としたときに責任持てないから、ご家族がおんぶして上がってください、との対応でした。

当時自分は議員ではなかったのですが、その相談を受けて、彼女が地元の学校に通い続けられるようボランティア団体を作りました。いろんな人が関わったことで、「なぜ3階までおんぶなんて非現実的なことをするんだ」とみんなが問題に気づいて、ああじゃねえこうじゃねえと話し合いになりました。

そのころ自分が偶然、市長と数分話をできるタイミングがありました。市長は詳しく知らなかったようで、その問題を話したら、転校するのが当たり前じゃなくて、当事者が来たところにはエレベーターを設置することにすぐに変わったんです。 ただ、伊勢崎はスーパーマーケットチェーン、ベイシア発祥の地ということからもわかるように、安物の街で有名なんです(笑) エレベーターを付けたのはいいんですけど、家庭用みたいな小さいエレベーターで。付いたから良いものの、突っ込みどころは満載で、伊勢崎らしいと言えば伊勢崎らしいですが(笑) 今後改善しないといけないです。

分離から共生へーー簡単でない道筋をどうつけるか

 障がい当事者がファシリテーターとなり、障がいの社会モデル(※5)の視点のもと、インクルーシブな学校、地域、職場をつくるための「障害平等研修(DET)」という取り組みがあります。全国各地の自治体や教育機関で行われ、最近では東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会が実施しました。高橋さんはファシリテーター養成の4期生として、群馬県内で精力的に研修を広めています。

(※5)「障がい」は個人の心身機能の障がいと社会的障壁の相互作用によって創り出されているものであり、社会的障壁を取り除くのは社会の責務である、とする考え方。

天畠:高橋さんがDET研修に取り組んだことで、伊勢崎市でどんな効果がありましたか? 

高橋:DET群馬という団体を、4期生3人で立ち上げて、県全体で研修を広げています。この動きに最初に関心を持ってくれたのは、県内の社会福祉協議会の方々でした。 

社協は当時、主に小学校で障がいの疑似体験などをやっていました。マットをひいて段差にして、車いすがいかに通りにくいか、といったものです。その社協の人たちがDET研修を受けて、「私たちは、本当はこういうのを伝えたかったんだ」と言ってくださった。障がいの疑似体験をずっとやっていたけれど、「やっぱり障がい者って大変だよね」といったマイナスのイメージを植え付けているだけなんじゃないかと思っていたそうなんです。 

このDETは、障がいの社会モデルを発見して自ら解決したいって思わせるもの。こういう研修こそ広めたいと、社協の人たちが、他の自治体にも勧めてくれて波及したんです。自治体、学校でも多く依頼され現在、群馬県内で年間60回ほど実施していて、地方では突出しています。

天畠:中央省庁の官僚たちもぜひ学んでほしいですね。国会議員活動をする中で、たとえば1型糖尿病患者の障害年金の審査が、医学モデル中心で、社会モデルの視点が足りていないと感じた部分もありました。最低限、社会モデルを知ってほしいです。もう一つ重要なのが、障害者権利条約に基づく、国連からの日本政府への総括所見(勧告)を受け止めること。障害者権利条約ができた経緯や理念も、中央省庁にはよく知ってほしいです。

高橋:そこがいちばん訴えたいところです。4年ほど前の厚労省との意見交換で、障がい者雇用を増やすために、どんな職員研修をしているのか聞いたんです。そうしたら、「車椅子の人を雇用したら、机をちょっと高くして、膝が入るようにすると、車椅子の人も仕事をしやすくなると研修で教わった」といったようなことをニコニコしながら言っていて。あまりにもびっくりしちゃって…。それよりも、障がい者は邪魔だという意識から抜け出し、障がいの社会モデルの視点を獲得するための研修をしてほしい、と強く願っています。 

 それから先ほど言及のあった、障害者権利条約に基づく国連からの日本政府への総括所見(勧告)で指摘されていた、精神科病院への強制入院や長期入院があること、障がい者全般の脱施設化がまだされていないこと、インクルーシブ教育の遅れ。これらの問題の根本って、結局「分けている」ことなんですよね。 

権利条約や総括所見が「分けないでくださいね」と言っている。すごく単純なことだけど、やはり日本はそれを受け入れられない。しかも国民は「分けていることが当たり前」になっていて、「分けている現状が差別・偏見なんだ」と感じなくなっちゃっている。国民のこの意識がすごく課題だなと思っています。

分離社会から共生社会に、どうやって変えていくのか。自分が障がいを持ってから13年間、どうやったらいいのかと考え続けているんですが、天畠さんの見解を伺いたいです。

天畠:言いたいことは三つあります。総括所見を政府に伝え続けることが、まず一つ。二つ目は、特別支援学校のカリキュラムとして、施設でなくて在宅でヘルパーを使って自立生活する選択肢があると学べるようにすること。脱施設やインクルーシブ教育といった国の政策は非常に大事な一方で、障がい当事者の側がもっと地域に出ていく後押しという側面も重要だと思います。三つ目は、脱施設、地域移行の一歩を踏み出すために、施設・病院にいるときから、重度訪問介護や移動支援などのヘルパーが使えるようにすること。施設に入所していても自由に外出などが出来るべきだし、施設の風通しを良くするという面もあります。 

高橋さんが進めてきた「共感看板プロジェクト」のようなものも重要だと思います。プロジェクトを少しご紹介いただけませんか。 

高橋:ありがとうございます。「共感看板プロジェクト」は、アメリカ合衆国テキサス州のオースティンという小さな町で始まった取り組みです。障がい者等用パーキングに違法駐車する人が絶えないので、どうすれば良いかという問題提起をしたのが、ダニエル・ピンク氏です。ダニエル氏は、ビル・クリントン政権時代のアル・ゴア副大統領の側近でスピーチライターでした。

なぜ人々が違法駐車と知りながら停めてしまうかというと、青い車椅子のマークに見慣れすぎてしまって、そこに停めることに罪悪感がなくなっているのではという仮説がありました。そこで、青い車いすマークではなく、本当にその地域に住んでいる障害者の写真に、“Think of me. Keep it Free”(=私のことを思い、空けておいてください)とメッセージをつけた看板を置く社会実験をした。結果、ほとんどの人が停めなくなったそうです。

群馬では、地元スーパーマーケットチェーンのフレッセイが、このプロジェクトに共感してくれたんです。試しにやってみたらとても効果が出たので総務部長も驚いて、今では群馬県内50店舗中約30店舗で共感看板が設置されています。今も店舗や駐車場をリニューアルするごとに、現在のマークから共感看板に取り替えられています。国交省にも事例をプレゼンしたことがあります。全国でぜひ広まってほしいです。

自分も健常者の頃は、どちらかと言うと障がい者等用駐車場に停めてしまっていた方でした。悪気なく「店舗に近くて広いし良いなあ」くらいの気持ちで。罰金徴収よりも、共感看板の方が気づきになると思いますね。

天畠:日本では障がい者が身近ではないですから、この「共感看板プロジェクト」のように、まちなかに障がい者の存在を意識できる仕掛けをたくさん作るのも有効ですね。高橋さん、今日は本当にありがとうございました。