武見厚労大臣に面会・要望しました(11月6日)

9月に就任された武見敬三厚生労働大臣に、11月6日、重度身体障がいの当事者議員3名で面会しました。3議員自身がまさに今直面する就労中の介助保障、そして就学などの社会参加も含めて、十分な介助保障確保の問題は、2019年の木村議員、舩後議員の当選から4年、大きな進展を見ていません。

そこで当事者議員の声を届けるため、参議院議会運営委員会の石井準一委員長の橋渡しのもと、今回の面会が実現。石井委員長からは、「直の声を聞いていただく中で、政策や予算、そして介助者の地位向上、環境整備のために即出来ることはしっかりと対応していただければありがたい」と後押しをいただきました。武見大臣からは「就労・就学などの社会参加については、まだまだ大きな課題が残っていると理解している」と返答いただきました。武見大臣には今後も、障がい当事者からの政策提案を厚労委員会の場で、またこのような直接対話の場でお伝えしていきたいと思います。

大臣に渡した要望書と、3議員それぞれの発言は以下の通りです。

令和5年11月6日

厚生労働大臣
 武見 敬三 殿

れいわ新選組
舩後靖彦
木村英子
天畠大輔

障害者が地域で当たり前に暮らすための基盤整備に関する要望書

私たち障害者議員は、障害当事者の声を直接国政へ届けるため、当事者の立場から政府に対し障害者施策への提言を行ってきました。しかしながら、どんなに重い障害があっても、健常者と同じように、共に地域で生きていける社会の実現には程遠い現状です。
この国の障害者施策が施設収容中心だった時代に、地域で生きるための障害者運動が始まり、すでに半世紀以上が経ちました。その間、住宅、交通、就労、就学などすべての面において社会で障害者が生きていける保障や制度が何もない中で、障害者にとって生きる要である介護保障を行政に対して訴え、現在の制度が作られてきました。
しかし、平成15年に措置制度から契約制度に変わり、障害者自立支援法、障害者総合支援法と法改正をするたびに障害者施策が改変されていく中で、施設からの地域生活移行は極めて不十分です。
そのような現状において、令和4年8月に障害者権利条約に関する対日審査が初めて行われ、同年9月9日に日本政府に対して総括所見(勧告)が出されました。その中で、障害者権利委員会は日本政府に対し、「障害者を居住施設に入居させるための予算の割当を、他の者との平等を基礎として、障害者が地域社会で自立して生活するための整備や支援に再配分することにより、障害のある児童を含む障害者の施設入所を終わらせるために迅速な措置をとること」と要請しています。
この要請に対する政府の姿勢は真摯さに欠けると言わざるを得ません。
第一に、介助を必要とする障害者が地域で自立生活を送るための制度が極めて不十分です。特に、地域で暮らしていくうえで欠かせない就学や就労などの社会参加に介助をつけられない制度となっています。
第二に、障害者の自立生活を支えるヘルパーの深刻な人手不足が一向に解消されません。ヘルパーの処遇改善についても、政府の対応は小手先の施策に留まっています。
このような問題意識のもと、以下の3点を強く要望します。厚生労働省におかれましては、障害者権利条約特別委員会での条約作成過程のスローガンである「私たち抜きに私たちのことを決めないで」を真摯に受け止め、障害者の現状に耳を傾け、われわれの要望を是非とも実現していただきたく存じます。
記

参議院厚生労働委員会において採決された障害者総合支援法等改正案の附帯決議にある「施行後五年の見直しを待たず、国連障害者権利委員会の対日審査の総括所見の内容を踏まえ、次回の定期報告が令和十年とされていることを見据え、当事者参画の下で速やかに見直しに向けた検討を開始すること」を早急に実現するために、障害当事者が参画した協議の場を速やかに設けること。
重度訪問介護・同行援護・行動援護において就学や就労などの社会参加に介助をつけられない制限を速やかに撤廃し、どんな場面においても介助が保障される制度を確立すること。
個々の障害者の介助ニーズに対応できる人材不足が深刻になる中で、国が責任を持ってヘルパーの抜本的な賃金アップを図るなど、人手不足を解消するための方策を早急に講じること。
以上

木村英子参議院議員「半世紀経っても就労や就学など社会参加利用が認められず当たり前の生きる権利が剥奪されたまま」

私たちは重度訪問介護制度を利用して24時間介護者をつけて生活をしていますが、全国的に人手不足が深刻な中、介護者不足も例外ではなく日常生活を送るための介護者が不足し生活が逼迫しています。

また重度訪問介護制度は自治体によって介護時間数などの保障が異なり、十分な支援が受けられず介護者がいない時間はトイレや食事、入浴などを我慢しなければならない生活を余儀なくされています。

その結果、体を壊したり障害が重くなったりして、生活が困難になり、せっかく施設から地域で自立生活を実現しても地域での生活を断念し、施設に行くしかない障害者が出てきてしまっているほど障害者の地域移行は後退してきています。

私たちも今、同じ状況に置かれている中で、いつ国会に来られなくなるのか、いつ日常生活が送れなくなるのか不安な日々の中で介護者探しに奔走し、やっとの思いで国会活動を行なっている状況です。

私たちは現在、参議院議員として障害者の立場からさまざまな提言を行い、国民の代表として国会活動をしています。しかし、このような活動が保障されているのは参議院が私たち重度障害者議員の議員活動中の介護費用を特別に負担してくれている期間だけです。

重度訪問介護を利用している障害者全般の就労保障がされていない現状においては私たちが国会議員でなくなれば再び家の中だけの介護しか認められず、就労や就学などの介護をつけての社会参加が閉ざされてしまいます。

介護の必要な障害者は社会の中で生きていける保障が無いために介護する家族や自治体などの介護制度がなくなれば施設に入るしか命を保っていける場所がないのが現状です。

私たちの利用している重度訪問介護は1970年代に施設から地域へ出てきた重度障害者たちが地域で生きるための介護保障を行政に訴え、1974年に東京都が作った「重度脳性麻痺者介護人派遣事業」の掲げた「自立と社会参加」の理念を引き継ぎ、制度の変遷を繰り返しながら地域で自立生活を営む障害者たちを支えてきた制度です。

しかし地域で生きるための命綱であるこの制度は、半世紀が経っても未だに就労や就学などの社会参加には利用することが認められず当たり前の生きる権利が剥奪されたままです。

私たちは健常者と同じように社会の一員として社会の中で自分のできることを発揮し活躍し貢献したいと思っています。そしてそれは多くの障害者の願いでもあるのです。

また私たちの議員活動中の介護保障については参議院が負担するものではなく、この日本に暮らす全ての障害者が等しく社会参加できる介護保障でなくてはならないと思っています。

私たちは議員であっても無くても市民として、地域の中で健常者と同じように就労や就学、余暇活動などが権利として社会のあらゆる場面に参加できる介護保障を一刻も早く作ってほしいと思っています。

障害者が地域で安心して生活ができ尊厳をもって生きられるように、社会参加に欠かすことのできない介護保障としての重度訪問介護制度の充実を早急に実現してほしいと思います。

画面左側に、発言する木村議員。その右隣に石井委員長が着席。木村議員と机をはさんで正面に座る武見大臣が、要望書に目を落としながら木村議員の発言を聞いている。

舩後靖彦参議院議員「憲法・障害者基本法で認められた自由な労働の権利や社会参加の権利が、一片の告示で制限されていいものでしょうか」

大臣、本日は、貴重なお時間をたまわり、誠にありがとうございます。また、この場の設定にご尽力下さいました石井参議院議運委員長には、心から感謝申し上げます。以下、介助者に代読してもらいます。 

私は、時計や宝石を扱う商社員として、海外を飛び回っていた働き盛りの42歳のとき、筋萎縮性側索硬化症・通称ALSと診断されました。ALSを宣告され、治療法はなくいずれ全身がマヒして全介助になると知った時は、「生きている意味がない」、「家族に迷惑をかけるくらいなら死にたい」とばかり思っていました。

しかしながら宣告2年後からはじめた、同じ病にかかった人へのピアサポートの活動を通して、自分にもまだやるべきことがあると実感し、人工呼吸器を装着して生きる決断をいたしました。

人工呼吸器を付けて延命した結果、現在私は国会議員として仕事をしています。介助者に文字盤を読み取ってもらったり、顎(あご)の動作で、口にくわえたチューブを歯で噛みます。それにより発生した空気圧でセンサーを動かし、パソコンを操作して文章を作成したり、資料や本を読み、メールもLINEもしています。また、前述と同様の手順でセンサーを動かし、和音をかなでることができる、ある工科大学製作による特殊なギターで、趣味のバンド活動も続けています。

 しかし、これらの活動、私の生活と生存を成り立たせている重度訪問介護サービスが、就労・就学等に使えないという制限があります。

これは、障害者総合支援法に基づく、重度訪問介護及び同行援護、行動援護の障害福祉サービスが、就労や就学にかかる外出に適用されないという、厚生労働省告示第523号があるためです。

本告示は、日本国憲法27条「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務をおう。」に抵触(ていしょく)すると考えます。また、障害者基本法3条にも「すべて障害者は、経済分野の活動に参加する機会が確保される」とあります。憲法・障害者基本法で認められた自由な労働の権利や社会参加の権利が、一片(いっぺん)の告示で制限されていいものでしょうか。

そのため、多くの障害者が、告示523号の撤回を求めてきました。また、昨年の秋に出された障害者権利委員会の総括所見においても、「職場でより多くの支援を必要とする者に対する個別の支援の利用を制限する法規定を取り除くこと。」と勧告されています。

私たち3人は、見守りも含め24時間の介助が必要であり、私と天畠さんは、方法は違いますがコミュニケーション支援も必要です。その上私は日常的に医療的ケアが必要です。しかし、必要な介助と支援、適切なケアがあれば、こうして国会議員として活動ができます。

私が国会議員を目指したのは、どんな障害があっても、難病であっても、自分の可能性は無限大であると信じられる社会をつくりたいと考えたからです。私が国会議員となるまでと議員活動については、『車いすで国会へ』という著書にまとめてあります。後で大臣にお渡ししたく存じます。

私たちだけでなく、多くの重度障害の方々も自分の望む形で働いたり、社会的な活動をしたいと願っています。大臣におかれましては、私たち障害当事者議員の要望に真摯なご対応をいただけますよう、心よりお願い申し上げます。

画面左側に舩後議員が文字盤で発言する様子が映っている。舩後議員の右側にいる一人の介助者が透明の文字盤を舩後議員の目の前に掲げ、視線の動きを読み取っている。もう一人の介助者は舩後議員の左側にいて、読み取った文字をメモしている。右奥に、文字盤読み取りの様子を見る武見大臣が着席している。

天畠大輔参議院議員「告示は大臣の権限で変えられるはずです。決断を期待します」

私は14歳のとき、医療ミスにより四肢麻痺、発話障がい、嚥下障がい、視覚障がいを負いました。障がいがあることで、人生の選択肢は本当に狭く、厳しい現実に直面してきました。

その原因の一つが社会参加にヘルパー制度が使えないという障壁です。たとえば、私が大学に通っているときは、ヘルパー制度が利用できないため、ノートテイク等の支援は学生ボランティアを自分で集め、食事やトイレは母親が大学まで来て介助してもらうしかありませんでした。しかしそのような体制では限界があり、通学できないこともありました。

参議院議員になったときも、重度訪問介護の利用が認められず、参議院が暫定的に介助費用を負担していますが、これは特別扱いであり、多くの障害者はヘルパー制度が使えないことで就労への道が閉ざされています。

現在は重度訪問介護等のヘルパー制度とは別に、大学修学支援事業や就労支援特別事業を作りましたが、これで十分な権利保障とは言えません。

先日、京都に行き、実際に就労支援特別事業を利用して働いてる障害者の方々の声を聞きました。ここでは詳細は省きますが、2つの制度を無理やり組み合わせたことにより、雇用主側にも当事者側にも経済的かつ事務的な負担が多く、この事業を利用できる障害者はほんの一握りであると実感しました。

もっとシンプルに考えてほしいです。政府は個人の経済活動に関する支援を公費で負担するべきかといった課題があると言いますが、私たち当事者は経済活動への支援を求めているのではなく、経済活動をするときに必要な生命維持を求めているだけです。自分で動けなくても、介助者を伴えば、仕事を探し、生きがいを探し、社会に貢献したいという人はたくさんいます。その人たちから介助者を奪う告示第523号の制限を改正してください。制限がなくなれば介助を必要とする障がい者が地域で生きていく希望を持つことができます。告示は大臣の権限で変えられるはずです。決断を期待します。

もう一つ要望があります。一方で、告示を改正しても、深刻な人手不足や65歳の壁など課題は山積しています。要望書にも書かせていただきましたが、当事者参画のもとで、介護保障のあり方を総合的に協議する場を速やかに設けてください。また、今後もぜひ継続して、大臣と私たち障がい当事者議員で面談をする機会を設けていただきたく存じます。

「あ、か、さ、た、な話法」で発言する天畠の後ろ姿。右横で介助者が天畠の腕を引いて読み取っている。机をはさんで正面に武見大臣が着席している。