報告②当事者からの事例報告「5.23院内集会 介助をつけての社会参加の実現に向けて -告示523号の撤廃を!-」(2025年5月23日)

院内集会では、告示523号により直接、何かしらの制限を受けている当事者たちが事例報告しました。全文を紹介します。
「生活全ての場面を支える支援体制に一本化を」自立生活センターSTEPえどがわ・今村登代表

ただ今ご紹介いただきましたSTEPえどがわで代表をしている今村登と申します。東京の江戸川区にあります。全国団体としては、DPI日本会議で事務局次長、地域生活部会の部長として活動しています。
厚生労働省告示第523号に基づく外出制限の撤廃と、それに伴う制度改革について要望させていただきます。
告示523号にある「重度訪問介護」「行動援護」「同行援護」の外出制限により、通勤・通学・就労・就学といった場面では介助が受けられない状況が続いています。その状況を打開するため、次のような要望をいたします。この後、DPIとして要望書を出しますが、そこには5項目ありますが、今日は時間の関係で4つに絞って説明します。
1つ、厚生労働省告示第523号による外出制限の撤廃。
2つ、就労支援特別事業・修学支援事業を重訪等に一本化し、シームレスな制度とすること。
3つ、制度一本化までの自己負担・報酬単価・事業者選択の格差を是正する措置の即時実施。
4つ、全国どこに住んでいても同じ支援が受けられるよう、国の責任で統一的な制度設計と、自治体間格差を是正するための財政支援を行うこと。
このような要望に至った背景をお話します。
第一に、超党派による政策合意の必要性です。この告示523号の外出制限は、2006年の制度開始時から、当事者・関係団体が繰り返し撤廃を求めてきた、いわば制度の「積み残し課題」です。国は「全てを福祉予算ではなく、雇用側、学校側が合理的配慮として提供するべき」との見解を示しておりました。
それに対し私たちDPI等では、「財布の出所は複数あって良いが、別制度になることで、普段利用している事業所やヘルパーを変えざるを得ないということにならないように」ということと、「たとえば雇用保険から財源を活用できないか?雇用保険であれば間接的だが雇用側の合理的配慮として負担をしてもらっていると言えるのではないか?」という提案をして交渉してきました。
その結果厚労省は先に出来ていた「重度訪問介護利用者の大学等修学支援事業」に倣い、「雇用施策との連携による就労支援特別事業」を作り、地域生活支援促進事業にして財源もある程度確保できるよう工夫して対応くださいました。このこと自体は感謝しています。
しかし現状は、雇われている方は雇用施策として「重度訪問介護サービス利用者等職場介助助成金と通勤援助助成金」、福祉施策として「就労支援特別事業」の3つの仕組みの組み合わせをする必要があり、通勤助成金は最初の3ヶ月のみの利用で、その後は重度障害者等就労支援特別事業を利用。法人の役員や個人事業主は重度障害者等就労支援特別事業と、とても複雑で、管理も煩雑になる仕組みです。
これは企業にとっては、とても手間がかかる上に、助成金が入るのは10ヶ月前後先に(最初の6ヶ月分)となるなどのことから、一般的な企業ならこれに協力して重度障害者の雇用を積極的に行うとは思えません。障害福祉だけでなく、雇用政策や教育、人権施策を含む包括的な課題として、政党や省庁の垣根を越えた対応をお願いします。特に雇用保険の活用などを今一度ご検討願います。
第二に、重訪等への一本化による支援の一元化が求められています。現在、就労に関する支援は、生活支援・就労支援・通勤支援に分かれ、請求先も異なる煩雑な制度です。これにより、利用者も事業者も大きな負担を強いられています。制度を一本化すれば、手続きの簡素化はもちろん、利用者自身が介助時間を自由に組み立てることができ、より主体的な生活が可能になります。
第三に、地域格差の解消です。就労支援特別事業や修学支援事業は市町村事業のため、運用や報酬、利用者負担が自治体によって大きく異なります。例えば、同じサービスでも、ある自治体では月額3,000円、別の自治体では重訪とあわせて74,800円という自己負担が発生します。これは単なる経済的格差ではありません。「働く権利」そのものが、住んでいる場所によって左右されている、深刻な権利の不平等です
第四に、制度一本化までの緊急の経過措置が必要です。まず、自己負担の問題です。共働き家庭では、就労支援と重度訪問介護の両方で負担上限がそれぞれ月額37,200円。合計74,800円、年額で約90万円にもなります。働くことで負担が増える制度は、あまりに逆進的であり、見直しが必要です。
次に、報酬単価の問題です。市町村によっては、時給1,800円程度しか支払われず、事業者が確保できません。一方、重度訪問介護はさまざまな加算により3,000円前後が支払われています。これでは同じ介助労働に対して賃金が二重基準になっており、通勤・通学支援を担う人材が確保できないのも当然です。
さらに、事業者選択の自由の制限も問題です。自ら運営する介護事業所を利用できないといった、制度趣旨に反する運用が一部自治体で続いています。これは、障害者の自己決定権・働く権利を侵害する行為であり、直ちに是正されるべきです。
最後に申し上げます。障害のある人が、地域で当たり前に暮らし、学び、働く社会の実現のために、制度を外出目的で分けるのではなく、生活の全ての場面を支える支援体制を一本化すべきです。告示第523号による外出制限の撤廃と、重度訪問介護、行動援護、同行援護への統一を含む制度改革を、どうか今こそ、実現してください。
そして、関係省庁と政党を越えた真の連携によって、常時支援が必要な障害者が、日常生活と同様にもっとシンプルに支援を受けて学び、働け、自由に生きられる社会を築いていきましょう。
ご清聴ありがとうございました。
「どうして働きたいの?在宅勤務でいいんじゃない?作業所はどう?」DO-IT Japan 小暮理佳さん

皆さん、こんにちは。小暮理佳と申します。私からは、「わたしと“働く”ことについて~“働く”ことを阻まれ続ける現実~」について、お話したいと思います。
まずは自己紹介です。大阪に住んでいる28歳です。全身の筋力が徐々に低下していく進行性の難病によって、電動車いす、人工呼吸器を使用していて、日常生活全般に介助が必要です。重度訪問介護を利用しながら、昨年4月から独り暮らしをしています。DO-IT Japanでのインターンや、様々な介助付就労を認めてもらうための活動をしています。
次に私の今までの経歴です。4歳のときに、大阪に引っ越し、そして、公立保育園、小学校、中学校、大阪府立高校、そして関西大学に進学をしました。大阪という土地柄かもしれないですが、どの段階にも、介助員さんがついてくれて、親や付添がなく、普通の学級で普通の健常の子達と学んできました。みんなと一緒じゃなきゃ嫌だったので、ところどころ、制度の壁とか、例えば部活動で介助員さんが使えないとかの問題がありましたが、その都度、いろいろ交渉をしながら進めていきました。
続いて就職活動についてです。私が働きたいと思ったきっかけは、大学生の頃に経験した学内有償ボランティアでの初めての給料明細を見て感動しました。私のお父さんはすごく、お金に厳しい人だったので、自分の自由に使えるお金が、できたことにすごく喜びを感じて、自分のお金で、好きなことに囲まれて生活したいと思うようになりました。
そして、私は大学2年生のときから就職活動を始めました。まず、2年生の頃に、情報収集をスタートしました。そのときに初めて、経済活動には重度訪問介護が使えないことを知ると同時に、職場介助者助成金の存在を知ることになりました。しかしそれを活用して働いているロールモデルとなる知り合いが私の周りにはいませんでした。なので、結果、介助が必要な人は、働くということを想定されていない社会であることを痛感しました。
そして大学3年生のとき、DO-IT Japanのプログラムの一環で企業で2週間インターンシップに参加しました。そこではさまざまな仕事を介助やそして、DO-IT Japanのサポートをつけていただき、仕事を経験しました。本当に働くことが楽しくて、毎日刺激的でした。そして就職することに、前向きになれました。
そして本格的に就職活動を初めて、エントリーシートを送ったり、面接をしたりしましたが、10社受けて、すべて落ちてしまいました。本当に落ちたことが、まずは障害者手帳のコピー、私は1級ですが、それを履歴書と一緒に送ると、必ず落ちる感じでした。
なので選考にも進めないことがあり、なので、私は就職活動を通して、そもそも重度障害のある人の生活とか、生き方を知らないとかということと、制度の壁、そしてお手洗いとか会社の設備を含め、そして働く時間。私は難病で体力がありません。普通の人のように長時間働くことができないので、そこはすごく大きな壁となっていました。
私が働きたいと思ったことは、たくさんの人に気持ちを表明というか、言ったりしましたが、そのときに社会の反応はどうか。どうして働きたいの?とか、在宅勤務でいいんじゃない?とか、作業所はどう?とか、トイレに一人で行けるようになったらエントリーができるので、頑張ってくださいと言われたり。これはお父さんから言われましたが、なんで介助を使えないのに、就活しているの?無理じゃない?と。これを聞いてやっぱり介助が必要な人が、働くことが、本当に想定されていない社会の構造があるんだなということを、とても深く痛感しました。
続いて、就労支援特別事業について。これができたのは、第一歩でした。これに関して私が感じていることを2つ話します。
まずは1つめ。先ほどからDO-IT Japanが何度も出てきています。そこでの働き方についてです。DO-IT Japanとは、東京大学先端科学技術研究センターが主催する、障害のある若者を対象としたリーダーシップ育成プログラムです。私はこれに大学1年で、応募して選ばれ、インターンとしていろいろと、事務局のお手伝いをしたりなどをしています。様々な企画を行いますが、それをしたりとか、後輩の相談に乗ったりしています。
しかし東京大学というのは、働いている人は、国家公務員やそれに準じた人に当たるので、この施策の連携による就労支援特別事業を使うことができません。同期でインターンとして入った方は、障害があるけど介助が必要がないというので、まずは正社員になれたのですが。私はそこを上司と話してますが、どうしても介助の壁が大きく立ちはだかっていて、現在、どうしようかと悩んでいます。
続いては心理的負担です。昨年、東洋経済から取材を受けました。支援特別事業を使うにあたって、ヘルパー事業所に「これを使いたいです」と言ったら、先ほど今村さんの話にあったように、単価の問題だったり、事務的な負担があるため、言い出しづらいという現状があります。去年、私がヘルパー事業所から、虐待を受けていたりとかしたので、なおさら言いづらい。言ったら、介助派遣すらしてもらえないんじゃないかという恐怖感からなかなか言い出せないという状況がありました。
最後です。やっぱり仕事をしているとき、仕事以外のことをしているとき、どちらも、人として生命維持活動、トイレや食事も必要です。そこに私たちの中で明確な境目はありません。生命を維持するための介助を、同じように保証してほしい。なので、重度訪問介護は仕事・生活の全てに使えるように強く望みます。私の発表を終わります。
「制度利用の相談を受けても利用に至らないことが多い」NPO法人ゆに代表 安田真之さん
NPO法人ゆにの安田さんは当日参加がかなわなかったため、動画で事例報告をしていただきました。
NPO法人ゆには、大学等で学ぶ障害学生の学業や生活の支援を中心に活動しているNPOです。学業の支援としては、聴覚障害の学生が受講する授業でパソコンによる文字通訳を実施したり、肢体不自由の学生の移動や代筆等の介助を行うスタッフを派遣したりしています。生活の支援としては、居宅介護と重度訪問介護の事業所を運営し、ヘルパーの派遣をしています。現状、制度的に分断されてしまっている学業と生活の介助を、1つの法人でシームレスに実施しています。また、重度訪問介護や同行援護のヘルパーを養成する研修も行っており、私は企画・運営スタッフや講師として関わっています。
前職は京都の私立大学で障害学生支援のコーディネーターとして働いていました。障害者支援のなかでも、特に障害のある学生の支援に長く関わっています。
私自身にも先天性の視覚障害があります。私自身の介助の現状をお話します。私が介助を必要とするのは、慣れない場所での移動と読み書きを中心とした視覚情報の取り扱いが主になります。実は現状、私は同行援護をはじめとした公的な介助をあまり利用していません。なぜなら私が移動や読み書きに困るのは主に働いているときだからです。出張で慣れない場所へ行くとき、紙の書類を処理しなければならないときなど、介助が必要な場面はたくさんあります。
しかし、残念ながら就労の場面では同行援護などは使えないので、結果的に私自身はあまり公的な介助を利用できない、ということです。そんななかで、金額的には微々たるものですが、職場では障害者介助等助成金を利用しています。職場の同僚に私の業務を補助してもらったときに、その時間の分の同僚の賃金の一部を助成していただく、というものです。
ただ、この制度、利用するための手続きがすごく煩雑で、毎回たくさんの書類を長時間かけて揃える必要があります。かなりの手間がかかる割に受給できる金額は微々たるものなので、仕事のための仕事を強いられているような感覚を覚えます。
そのような状況なので、普段は、介助が必要な部分は他のスタッフにカバーしてもらえるように、業務のプロセスや分担を工夫するなどして、自助努力でなんとかやっているのが現状です。幸い、私の同僚は皆協力的なので助かっているのですが、今の状況は、同僚たちのそうしたマインドに依存しているとも言えるので、望ましい姿とは言えません。仕事中も、私が必要なときにいつでも公的な介助を利用できて、私も他の職員と同じように自立して仕事ができるようになることが、理想だと思っています。
次に、介助者を派遣する事業所として直面している状況をお話します。現状、我々の事業所が関わっている就労や就学の場面の介助の制度としては、重度障害者等就労支援特別事業、障害者介助等助成金、重度障害者大学等修学支援事業の3つです。
一方では、少ない実績ではありますが、障害者介助等助成金を活用して、就労する聴覚障害者に対して文字通訳を派遣したり、重度障害者大学等修学支援事業を活用して、肢体不自由の大学生の介助派遣をしたりといったケースがあります。
他方、この「少ない実績」という点が、一番の問題だと考えています。なぜ実績が少ないのか。まず、障害当事者も大学も行政も、これらの制度を知らないことが多いです。特に、重度障害者等就労支援特別事業と、重度障害者大学等修学支援事業は、障害者総合支援法に基づく障害福祉サービスの「地域生活支援事業」の「任意事業」に位置づけられています。つまり、事業を実施するかどうかも含めて自治体に委ねられているので、このことが認知度の低さに拍車をかけていると言えます。
皮肉な話ですが、重度訪問介護や同行援護が就労や就学の場面で使えないということを知っている人はそれなりにいるのに、それらを補填する制度については、知らない人が圧倒的に多いというのが、私の実感です。誰も知らないわけですから、当然利用に結びつくはずがありません。
もう1つの理由は、たとえ知っていても、利用するまでの手続きがあまりにも煩雑なことです。障害者本人やヘルパー事業所のみならず、就労場面であれば職場の、就学場面であれば教育機関の理解とかなりの協力がなければ、利用することは難しいです。また、介助派遣を行う事業所としては、報酬単価や助成金額が安いことも問題です。
こうしたことから、我々の事業所でも、制度利用の相談を受けても、実際に利用するには至らないことが多いです。したがって、事業所として障害当事者や職場や教育機関に、積極的にこれらの制度の利用を促すということも、現実的には難しいです。就労や就学の場面の介助については、多くの場合、自治体と交渉して既存の重度訪問介護の枠内でできるぎりぎりのところで対応したり、雇用主や大学などの費用負担、もしくは利用者の実費で制度外で対応したりしているというのが現状です。
ここまで、当事者として、またヘルパー派遣の事業所の運営者としての経験と現状をお話しました。最後にそれらを踏まえて、厚生労働省告523号について、私見を述べたいと思います。
私が、いち障害当事者として希望することは、シンプルに、「普通に」学び、働き、暮らしたい、それだけです。しかし、これまで述べてきたように、私たち障害者の生活は、日常生活、就労、就学といった形に制度的に分断され、さらには障害者でない人にはない制約を強いられています。
そもそも、人の生活や介助というのは連続していて、機械的に分断できるものではありません。たとえば、誰だって仕事の日も休みの日も飲食をしますし、お手洗いに行きます。特にこれから気温が高くなってくると、熱中症を予防するためにも、こまめな水分補給は欠かせないでしょう。常時介助を必要とする人にとって、就労場面で介助が使えないというのは、いってみれば国会議員の方に対して「あなたは永田町では飲食もお手洗いも一切禁止です」と言っているのと同じです。そんなことが許される理由が、いったいどこにあるのでしょうか。
問題は就労や就学だけではありません。今日ご参加の皆さんのなかで、パチンコがお好きな方はいらっしゃるでしょうか?自治体や事業所によっては、パチンコを含むギャンブルを、告示523号の「社会通念上適当でない外出」に該当すると考えるところが多いと思います。ということで、パチンコ好きの皆さん、「今日からあなたはパチンコに行くのは禁止です」と言われて、納得できますか?介助を利用しないと外出できない人にとっては、制度の対象外にするということは、「あんたは行くな」と言っているのと同じです。パチンコをしない私でさえ、「自分で稼いだお金でパチンコをすることの、何が悪いの?」と思います。
一方、「就労や就学にまで介助派遣を認めていたら、財政が破綻する」というような声もしばしば耳にします。はたして本当にそうなのでしょうか?私はむしろその逆だと思っています。就学時にも介助が受けられるようになれば存分に学んで就職できる。そして、就労時に介助が利用できれば存分に働いて、稼いで、納税できる、そう考えています。これは建前ではなく、私自身実際に、働いて納税することで社会参加をしているという自負がありますし、これからも続けていきたいと、心の底から思っています。
最近よく言われる、持続可能な社会保障や、DEI(多様性、平等、インクルージョン)の推進といったことを考えるのであれば、むしろ介助の充実こそが必要不可欠だと考えています。そして、告示523号による生活と介助の分断を取り除くことこそ、その取組の第一歩になると、私は思います。
以上です。ありがとうございました。
「移動支援に外出制限」ピープルファースト東久留米 小田島栄一さん

小田島/僕も見守り介護訴えたんだけど、なかなか戻らないんで困っています。介護が少なくなっていくことが多く困っています。だからもっと、介護を使ってもいいかなと思っているけれど、そうはいかないんですね。職員がどんどん減らすから。介護をもっと出してもらいたいです。
支援者/小田島さんは、そもそも重度訪問介護が対象ではなく利用できません。そのため介護保険と移動支援を利用して生活しています。移動支援については東村山市は月20時間の上限があり、かつ通勤・営業活動などの経済活動に関わる外出や、通念かつ長期にわたる外出、社会通念上適当でない外出は、できません。
そして介護保険では訪問介護で外出自体が基本的にはできません。認められているのは、近所への買い物とリハビリ目的の近所への散歩のみです。
小田島さんの外出、社会参加は、現状は介護保険ということで、ものすごく制限がある中で、生活されています。その他、事実上、現状で小田島さんの介護保険は1日2.5時間、月100時間。1日換算は2.5時間で、とても生活できるような支援を受けていません。これは小田島さんが、入所施設を50代で出てから、ずっと自分の見守り介護が必要だと、国に訴えてきました。
小田島/そんで、2時間ももらっていません。厚労省に言っても、なかなか直らないので、困っております。そういうときはどうしたらいいんでしょうか?
支援者/福島(みずほ参議院)議員のお話にあったように、障がい者制度改革推進会議の障害福祉部会の委員として、小田島さんは参加されていました。そこで、重度訪問介護に知的障害者も見守り制度を使いたいと、入れるように運動していましたが、最後に重度訪問介護が認められたのは行動援護対象者で、自分は運動を頑張って来たのに、使えない制度になったという悔しさがあります。
それがだいたい小田島さんが60歳のときで。その後、介護保険になって、それまで使っていた障害福祉サービスが使えなくなってしまって。制度的にぽっかり穴が空いてしまったのです。その空いた部分は支援事業所に負担してもらって、ヘルパーを使っていますが、悔しかったよね。
小田島/そんで僕は、頑張りました。これで終わりたいと思います。
「告示523号は差別」全国公的介護保障要求者組合 鈴木敬治さん・渡邉由美子さん・井上晴菜さん

鈴木/要求者組合の鈴木敬治です。代読させていただきます。
「居酒屋くらい行かせろ!」全国公的介護保障要求組合書記長、鈴木敬治。僕は、厚生労働省の告示523号の外出介護の制限撤廃を強く訴えたい。この告示では仕事や通学の際には重度訪問介護を利用できないとされている。このおかしさについては他の人がちゃんと説明しているので、僕はちょっと角度を変えて話をしたい。
この告示では、仕事や通学に加え、「社会通念上適当でない外出」でも利用できないとされている。では、その「社会通念上適当でない外出」とは何だろうか? 告示にははっきり書いていない。
しかし、各自治体ではこの告示に基づき、手引きやガイドラインなどを作成し、かなり根拠なく、僕達の社会参加を制限している。例えば、僕の住んでいるところでは居酒屋に行く等の飲酒を伴う外出を「社会通念上適当でない外出」としている。くだらない。健常者はふらっと居酒屋にいけるし、実際に行っている。
でも僕は障害を持っているという理由だけで居酒屋には行けない。おかしな話だ。友達と酒を酌み交わすことできないんだ。これを差別と言わず何というのか?
また、政治活動も認められないらしい。政治に関わって何が悪いんだろうか? 政治は、僕が住んでいる国や地域をどうするのかを決めることだ。障害者権利条約のスローガン「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」を真剣に取るならば、当然、政治にも関わらなくちゃいけないはずだ。全く理解できない。このように、この告示は障害者権利条約に反するばかりでなく、憲法・障害者基本法・障害者総合支援法にも反している。
というか、差別そのものだ!
そもそも、重度訪問介護は、障害者運動がそれこそ命をかけて厚生省(現・厚生労働省)との交渉の末、何とか勝ち取ってきた制度だ。1970年の「府中療育センター闘争」に始まり、新田勲さんと三井絹子さんのご兄妹が壮絶な反対運動を展開した結果なんだ。そこに、こんな差別的なものを残しておいてはならない。必ず粉々にして撤廃させなくてはならない。みなさん協力して撤廃勝ち取りましょう!以上です。

渡邉/全国公的介護保障要求組合の副委員長の渡邉由美子です。告示第523号を撤廃させたい理由です。
全国公的介護保障要求者組合は、全身性障害者介護人派遣事業を起源とし、障がい者運動から生まれた自立と社会参加を目的とする重度訪問介護制度に基づいて、就労も就学も社会参加も阻むこの告示は人権の観点からも歴史に逆行しているので断固撤廃させるため闘い続けていきたいと思います。
仕事をしたいが介護者つけられない。この場合の介護とは、ただ私の目の前にパソコンを置いてその前に座らせるということではない。時には一緒に文章を考えたり、伝わりやすい表現に変えたり、作業そのものを関わりながら共に行うという意味の仕事の仕方である。
もちろんその間に生じるトイレ、飲水、体勢直しなどは必須条件である。何事も介護者と二人三脚でなければ成立しないことなので、仕事中も例外ではない。そこを強く求めていきたい。
523号はいらない。ペットの世話ができない。介護者付き入院ができないのは、命に関わる政治活動が出来ない。集会だって行きたいのに前もって事業所にお伺いをたてなきゃなんない。
523号はいらない。養護学校入学も親の付き添いを条件にされ、あやうく就学猶予で学ぶ機会を奪われる状態。あり得ない。通学もできない。
523号はいらない。宗教活動も信教の自由がある以上行きたい時に宗教的な活動もしたい、自由に行動する事を制限されていることはおかしい。
523号はいらない。介護が必要な私たちは常に生活に制限を受けている。健常者にない制限を受け続けることは耐え難い。すべては社会の無理解と差別が原因だ。
大きい電動車いすで行けない所は、まだまだ多い。例えば好みの飲食店、段差や階段のある場所、スペースの狭い所は全て行けない。事業所の無理解、ヘルパーの常識によって当事者は制限を受けたくない。
究極の差別が523号です。外出自体困難なのに、社会通念上、適切でないって国が決めるのはおかしい。こんな告示、本当にいらない。撤廃に向けて闘い続けて行きましょう!すべては介護者と共に行うぞ!

井上/みなさん、こんにちは。井上晴菜です。私は国立市で24時間介護者を入れて自立生活をしています。私の介護は生活の全てを介護者と一緒にやる事です。私は様々な委員会に参加しています。参加するのにどんな介護が必要か介護者に話してもらいます。どうぞ。
介護者/例えば晴菜さんは今、国立市で権利擁護支援審議会の委員さんをしています。国立市では晴菜さんが会議に参画するために2人の介護者を認めてくれています。1人は重度訪問介護や地域参加型介護サポート事業で、もう1人は陪席者として会議の時間を市が保証してくれています。
晴菜さんは他の委員さんと同じ様に話が分からない事があるので、1人の介護者が晴菜さんにわかりやすい説明をします。もう1人の介護者はノートに後日答えを出す時に必要なポイントを書きます。晴菜さんは考える事、動く事、生活する事全てにおいて介護が必要で、介護者がいなければ自分の意思を決定するための話も分からないし、意思を考え伝える事もできません。
しかし晴菜さんも私たちも成年後見人は必要ないと思っています。介護者が意思決定を支援して晴菜さんがしっかり自分の意思を決められるようにサポートをしていく事が知的しょうがいを持つ晴菜さんの介護だと思います。
井上/私がこれから色々な事を介護者と一緒にやりたいと思った時、この523号があっては私のやりたいことが出来ないです。例えば毎日プールに通ったり、学校に行ったり、東京駅一番街で働いたり、だから523号はいらないです。
みんなでなくしていきましょうー おー!
一緒に「おー」と言ってください。せーの。おー。